2021.10.17

温故知新その1

温故知新その1

今週はプラスチックマーケットの協力工場でも長い歴史と多くの実績を持つ丸ノ内工芸の練馬工場にお邪魔しました。

創業が昭和32年6月なので実に64年の歴史を持つ会社で、東京に本社と試作工場、岩手に量産工場を持ちます。

http://www.marunouchi-k.co.jp/

 

国内最大規模のアクリル板加工総合メーカーとして全盛期にはタイにも工場を持ち、従業員が150名を超える時期もあったとか。

ただ、時代の流れとともに会社規模をコンパクトにして、ワーズウィズグループに参加したのが6年前になります。

 

主力である化粧品ディスプレイは堅調で、既存顧客の横展開や新規ブランドの獲得がコンスタントにできているそうです。

また、文具系のディスプレイやフィギュアケースも活況になってきている上、昨今の飛沫感染防止アクリルの需要も増大しており、

グループをけん引している勢いのある会社と言えますね。

 

今日はそんな丸ノ内工芸の生き字引とも言える、練馬工場の金子さんそして影山さんにお話をうかがしました。

まずは最年長で最長勤続年数の金子さん。昭和39年に15歳で熊本から上京して就職し、今年で勤続57年になります。

 

金子さん入社当時の丸ノ内工芸では大手印刷会社さんからのディスプレイ依頼はすでにありましたが、それ以外でもいろいろ

な仕事があったそうです。まず看板関係はそれこそメインで製作していたし、タクシーの屋根についてる行灯(通称防犯灯)もよく

製作していたそうです。あとはタバコの箱のダミーBOX(アクリルBOXでラベルはシルク印刷で表現)もよく製作していたとか。

ちなみに社内でできるシルク印刷は、昭和41年に岩手工場ができた時からそうです。

 

特殊なところだとトランジスタラジオのパーツ製作や船舶用のブイ製作、そして魚群探知機のモニター回りパーツ製作など

産業系寄りの仕事も多かったそうです。

 

今と昔の違いをお聞きするとまず今が非常に恵まれた状態であるということ。入社間もない設計担当でも図面ソフトで細部にわたる

設計が可能であり、その進歩には目を見張ると言います。昔はお客さんから渡された1/1の紙の図面で製作するそうですが、

その図面に什器の内側や見えないところの指定がないため、加工する人がそこをあれこれ考えて製作していたそうです。

 

東京の丸ノ内工芸で33年勤務したのち、金子さんはタイのバンコク工場に赴任します。最初ピンチヒッターで半年の予定だったのが

気付けば16年。日本人が4人で、現地スタッフは40人程度。日系企業の現地法人が主な顧客だったそうです。

 

そこで知り合った人脈、有名な日用品・化粧品・文具メーカーの人達とはいまでも連絡を取り合って交流を続けているそうです。

2013年にタイ工場が閉鎖となり、日本に戻ってきて今でも現役の職人として活躍されています。

 

お話の中で印象的だったのは、いろいろな物に興味を持つこと。とにかくお客さんの売場はくまなく見に行き、自分が製作した物

もそうでない物も「他にもっといい作り方があるのではないか」「これはどうなっている?」等考えて売場で検証するそうです。

そこで売場の人とも仲良くなるというのは金子さんに人徳によるものでしょうね笑。そういったあくなき探求心ががいい物を作る

上で必要なマインドをなのだなと実感しました。

金子さんの1年後輩でやはり丸ノ内工芸一筋56年の影山さんにも少しお話を聞くことができたのですが、モノ作りの上での

探求心というのは大事だと改めて感じました。影山さんが探求しているのは「効率」で、上がってきた図面に対して意味を成さない

仕様に対しては常に自分の考えを伝えて改善要望をするそうです。

 

影山さんいわく、見た目がそれほど変わらなくても生産スピードが段違いで早くなる方法があればそれを推奨する、価格勝負の量産

にあって、生産効率は生命線であり、同じような仕様でもアプローチはいくらでもあるはずだという事。

 

丸ノ内工芸のレジェンド2人に改めて教えられることは多かったですね。どんなに忙しくても「探求心」は忘れないようにと

改めて感じました。同社には営業や設計に若い世代も多く入って来ています。このようなベテランと新しい世代がタッグを組んで

モノ作りに取り組んでいるこの状況こそ、丸ノ内工芸の強みではないかと感じました。